患者と医療従事者をせん妄からいかに守るか – 乳腺外科裁判事例から考える

最終更新日:2022/04/15

アイキャッチ画像作成:吉田一美

この記事を書いた薬剤師

ファーマ

Pharma

薬剤師・抗菌化学療法認定薬剤師・糖尿病療養指導士

学術系バーチャルyoutuber。長年病院で薬剤師を勤めてきたが、不正確な医療情報が原因で健康被害にあってしまう人を減らしたいという思いから、2019年から活動を開始しTwitterおよびYoutubeで情報発信を継続している。少しでも詐欺医療に騙されてしまう人を減らすべく、サギプロに参加した。

みなさんはじめまして。薬剤師バーチャルyoutuberのファーマと申します。

立派な先生がたの中に混じって私のような者が記事を書かせていただくことになり、とても緊張しておりますが、精一杯頑張らせていただきます。どうぞよろしくお願いします。

自身が執刀した女性患者に対してわいせつな行為をしたとして、男性医師が準強制わいせつ罪で逮捕、起訴された事件がありました。先日(2/18)最高裁が裁判の差戻しを命じたニュースがありましたね(https://sp.m3.com/news/open/iryoishin/1016654)。皆さんもご存知なのではないでしょうか。今回はこのニュースをテーマにお話しさせていただきます。

とても大事なことなのですが、まず本記事では
・判決の内容に意見するものではないこと
・当該の事案の事実関係を推測するものではないこと
・女性患者さんの証言を否定する意図はないこと
をご了承いただければと思います。

せん妄とは

この裁判で大きなポイントとなっているのが、手術直後の女性患者さんの状態です。女性が全身麻酔から覚めたばかりでいわゆる「せん妄」状態にあったのかどうかが争点となっています。「せん妄」という単語は聞いたことがない、という方もおられそうなので解説します。

日本語文でよくまとまっている資料として、日本サイコオンコロジー学会が出している「がん患者におけるせん妄ガイドライン」がございます。分かりやすく説明されておりますので、ぜひ本記事と合わせてそちらもご参照ください。

せん妄の概要

上述の「がん患者におけるせん妄ガイドライン」では、「せん妄とは、身体的異常や薬物の使用を原因として急性に発症する意識障害(意識変容)を本態とし、失見当識などの認知機能障害や幻覚妄想、気分変動などのさまざまな精神症状を呈する病態である」と記載されています。もうすこし簡単な表現にすると、病気や薬、手術など体に負担がかかる治療が原因で一時的な意識障害をきたした状態です。「さまざまな精神症状」とある通り、状態によって症状にかなりの幅が見られます。

夜眠れなくなって日中ウトウトしてしまったり、日にちや時間、場所がわからなくなってしまったりしまうといった軽いものから、重度のものだと幻覚が見えてしまったり、ちょっとしたことで腹を立ててしまったり、大暴れしたのちにその時の記憶が残っていない、なんて場合もあります。

せん妄の仕組み

では、せん妄はどの様な時に起こるのでしょうか。せん妄の仕組みは単純ではなく、色々な要因が絡み合って発症することがわかっています。その要因を準備因子、直接因子、促進因子の3つに分類する考え方が広く支持されています(Lipowski Z. Delirium : Acute Confusional States, Oxford University Press,1990)。

ご年配の方や認知症のある方、アルコールをたくさん飲まれる方などは、せん妄になりやすいです。こういった要因のことを準備因子と呼びます。ただ、それだけでせん妄になるわけではありません。病気そのもの、薬剤の投与や元々飲んでいた薬の急な中断、手術などによって体にストレスが加わることが、せん妄の直接的な引き金になります。これを直接因子と呼びます。そして身体要因として痛みや便秘、動きの制限、精神要因として不安や抑うつ、入院、部屋の明るさなどの環境変化、睡眠の変化などが促進因子となり、せん妄の出現のきっかけや長引く原因となります。

せん妄はこれら3つの因子が関わることで起こったり、症状が強くなったり、長引いたりしてしまうわけです。

せん妄の発症モデル(井上真一郎,内富庸介:せん妄の要因と予防,臨床精神医学42(3):289-297,2013を元に筆者作成)
イラスト:いらすとやより転載

せん妄の頻度

こんな話を聞くと、どこか自分や家族には起こらないような話だと感じるかもしれませんが、せん妄は意外と高い頻度で起こることがわかっています。報告によって発生率には幅がありますが、例えば、65歳以上の入院患者では入院患者の10%〜42%に出現するとの報告(Siddiqi N et al: Occurrence and outcome of delirium in medical in-patients: A systematic review. Age Ageing 35: 350-64. 2006)や、術後のせん妄に関しての調査では手術の後17-61%の患者に出現するとの報告(Marcantonio ER et al: Postoperative delirium: A 76-year-old woman with delirium following surgery. JAMA 308: 78-81. 2012)もあります。さらに驚くべきことに、術後ICUに入室した高齢の患者さんの実に80%がせん妄をきたすという報告もあります(Fricchione GL et al: Postoperative delirium. Am J Psychiatry 165: 803-12)。

このように、せん妄は決して特別な病態ではありません。特に医療に関わっている人にとってはとてもありふれたものなのです。

せん妄について:まとめ

なんとなくせん妄についてのイメージができましたでしょうか。もちろん我々医療者は、せん妄をできる限り減らし、軽くする努力を続けていく必要があります。

今回の報道について

せん妄の3要因と照合する

今回の患者さんについて報道から分かる範囲で照らし合わせると、準備因子として読み取れるものはありませんでしたが、全身麻酔での腫瘍 乳がん [2022.3.27 訂正いたしました] の手術という直接因子、入院・病棟生活という促進因子があったものと考えられます。がんという [2022.3.27 削除いたしました] 病気や手術への不安が強かったのであれば、促進因子がさらに加わることになります。せん妄が起こる可能性はあったと言わざるを得ないでしょう。

せん妄による幻覚であっても本人にとってはとてもリアルな体験として感じられ、あとからそれがせん妄だったと言われてもとても信じられないでしょう。人間の記憶は完璧ではないので、何度も他人に説明をする中でより強く現実味を帯びて感じてしまうこともあり得ます。

(繰り返しになりますが、この記事では可能性の指摘のみ行い、実際どうであったかを推測する意図はないことをご了承いただければと存じます。)

医療に及ぼす影響について

では、今回の一件は医療にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

まず最高裁が指摘したように、専門的知見に基づいた審理や証拠が不十分なままに有罪判決が下されてしまうこと自体に問題があるといえます。そして、これによって医療の在り方に大きな影響が出ることは間違いありません。具体的に考えてみましょう。

 例えば私が手術後の患者の元に1人で服薬指導に向かったとします。その時、患者さんがせん妄状態で、私に卑猥なことをされたと思い込んだとしたらどんなことが起こるでしょうか。本人は混乱していますから、たとえせん妄でも体験はとてもリアルに感じられてしまいます。本人は本気で「病室にきた薬剤師に○○で××なことをされて、精神的な苦痛を感じた。」と周囲に訴える可能性もあるでしょう。そういった時に、私には身の潔白を証明する術がありません。

厳しい対策による医療への影響

 裁判になった場合に適切な検証が行われないとなると、有罪となる可能性が出てしまうわけで、もちろんこれは問題です。

十分な検証が行われないまま医療スタッフが有罪になるという前例ができると、医療提供側は誤解を避けるために色々な厳しい対策をしないといけなくなってしまいます。全身麻酔で手術する医師、あるいは手術後に診察する医師は、必ず自らの潔白を客観的に証明できるような仕組みを整備する必要が生じるでしょう。

対策として、病室の全てに監視カメラをつけると解決するかもしれませんが、これは費用面で医療者にとっても大変ですし、皆さんが入院した時ずっとカメラで撮影されるのは居心地が悪いのではないでしょうか。

他には、せん妄リスクの高い患者さんの元へは複数(しかも異性同士の組み合わせ)で向かうというルールを作る、などになりそうです。ただしどの患者さんでもせん妄のリスクがゼロということはあり得ません。となると全ての患者さんにこの対応を取る必要が出てしまうのでしょうか。これを実現する場合、さらなる人員配置が必須となり通常の診療にも影響を与えてしまう可能性があります。具体的には、処置を行えるスタッフの不足により、病院の待ち時間が長くなってしまったり、手術の順番がなかなか回って来なくなってしまったりすることも起こり得るわけです。

裁判そのものによる医療への影響

それだけではなく、そもそも裁判になっただけで、訴えた側も訴えられた側も莫大な時間と労力を要します。医療機関の人手不足は深刻ですから、他の患者さんにまで影響が出てしまうでしょう。医療に携わる人のほとんどは目の前の患者さんを救おうと思って行動します。それにもかかわらず、せん妄という病態に対して社会の理解不足が理由で裁判になってしまうのだとしたら、どちらにとっても不利益をもたらすことだと思います。

こうした観点からも、医療提供側、医療を受ける皆さん双方の不利益になってしまうのではないでしょうか。

今回の報道について:まとめ

今回、最高裁は高裁への差し戻し、つまり裁判のやり直しを命じました。これは、高裁で行われた一連の審議による検証が不十分であったことを示しています。今後、医療従事者及び患者さんたち双方にとって良い形に議論が進んでいくことを期待しています。

この記事を査読した医師

ばりすた☕脳神経内科医

bar1star

脳神経内科専門医

基幹病院勤務医として脳卒中、認知症、てんかん、頭痛、パーキンソン病などの神経変性疾患、多発性硬化症などの神経免疫疾患等、幅広く診療している。 現場で感じた、脳神経系の病気や医療に関する認識のずれを少しでも埋めることができないかと医療情報発信に興味を持ち、Twitterアカウント @bar1star などでの発信を行っている。

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